50overで決意すべきことは何か|”自分ファースト”を目指すも突きつけられた現実

50over、世間ではまだまだ若いと言われるかもしれない。

しかし、50を越える=すでに人生の終末期だった時代もある。

自分自身、今の時代を生きているのに、自分が今の時代を生きているとは思えない出来事に遭遇した。
突然やってきた、限りある命を認識した日。
このままでは今の時代を生きられないかも知れない。

命は限りあるものだと突きつけられた日

今まで、自分の人生を振り返る時間すらなく生きてきた。

もうすぐ子育てが終わる頃、漠然と自由な時間が出来たら何をしよう?と考えることもあった。

しかし…突然、親の介護の日々が訪れた。
日々対応するだけで必死、知らぬ間に自分自身が追い詰められていた。

ある日、自分が倒れた…。

緊急入院の事実に呆然となったが、何とか復活出来たのは幸運だった。

でも…「命を落としていてもおかしくなった」という医師のその一言だけが、残った。

自分を大切に出来ずに生きてきたこと、命には限りがあり、このままでは自分が何者にもなれないまま終わる…と突きつけられた時、自らの意志でやりたいことは?と自答した。

しかし、今まで自分のために何かをしたことがない、自分には何もない…。

そう思った。
でも、それを認めたくない自分もいた。

自分のために、自分は何者なのかを考える日々を過ごし始めた。

気づいてしまった日

孤独な介護、介護をする親は毒親だったという事実…。

自分がやるのが当然、当たり前と思っていたが、あることをきっかけに、本来、自分が背負わなくてもいいものをすべて背負わされていた事実に気づく。

理解者もなく、再び同じ生活をすれば、次は命はないかも知れない…と怖くなり、これからは自分が今、何をしたいか?何をすべきか?を考えることにした。

この時はまず「自分ファースト」で生きようと思うだけだった。

「人のためにが当たり前」から「自分ファースト」を目指すまで

「自分ファースト」を決意しても、自分のために生きたことがなく、人のために生きるのが当然だった生活を変えるのは難しい。

まず、自分のやりたいことがわからない、自分のために何をしたらいいのかもわからない。

人のためなら、無理して何でもするのに、いざ自分のためにしようとすると出来ない…。

罪悪感が浮かんでしまう。

自分のためにやるなんて…とリミットがかかる感覚に気づき始め、その理由を考え始めるようになった。

自分ファーストで生きればいい。

そう思っていた。

でも、そんなに単純な話ではなかった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました